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カツラの葉っぱ 大好き!

カツラの葉っぱ 大好き!

現代マンガの索引

<現代マンガの索引>
三宮の大型書店のコミックコーナーに立ち入って驚いたのです。
膨大な量の新刊、そして古い定番の復刻版が並び、マンガ作家の原画がところ狭しと飾られています。
もう百花繚乱というか、爛熟というか・・・・
サブカルというにはそぐわないほどの活況を呈しているが、なんか大使の好みとは違う方向に肥大しているようで、あまり気分が良くないわけです。

・・・ということで、現況に惑わされように個人的趣味にこだわった「現代マンガの索引」を作ってみたのです。

・現代漫画博物館1945-2005
・おもしろさがすべての土台
・漫画あれこれ目次
・知識的大衆諸君、これもマンガだ
・秘密の本棚
・漫画家誕生



<現代漫画博物館1945-2005>
商品説明に、現代漫画史を通覧できる初の漫画百科本!とあるが・・・
伊達ではないようです。
巻末の、漫画作家索引と作品索引を見ると、探す作品は一発で出てきます♪


【現代漫画博物館1945-2005】
漫画

小学館 、2006年刊

<商品説明>より
現代漫画史を通覧できる初の漫画百科本!
戦後から現代までの各漫画賞受賞作品を中心に、漫画史に残る代表作約700作品を、図版と初出・終了データ入りで全解説!豊富なカラー図版、「作家人名事典」「現代漫画史年表」「各漫画賞受賞作品完全リスト」付!

<大使寸評>
約700作品を、各作品の内容ページを付けて紹介している圧巻です。
2006年発刊以降分には触れていないが、1945-2005年の作品は全て網羅していると言っても過言でないのが、すごい♪

当然ながら、少女漫画が半分ほど占めるが・・・この領域は大使の死角である。

rakuten現代漫画博物館1945-2005




<おもしろさがすべての土台>
『ビジネスパーソンのための教養大全』という大仰なタイトルのムック本を買ったのだが・・・・
購入の決め手になったのは、意外にも漫画だったのです。


<おもしろさがすべての土台:山崎浩一>p110
諸星

 数年前、マンガ研究のために来日したというドイツ人留学生からひょんな経緯で「論文のための取材」を申し込まれた際、こんな質問を受けた。「たとえば『デスノート』や『寄生獣』のように難解なテーマを扱う作品が少年誌に掲載されて、しかも絶大な人気を博すなんて日本以外では考えられない。なぜ日本だけでこんなことが可能になったのだろうか?」と。彼が例に挙げたマンガは、なるほど確かに米ハーバード大学のサンデル教授が正議論の教材にしてもいいくらい高度なテーマを扱っている。
 彼の手土産のドイツワインで既に回らなくなっていた頭と呂律で、苦し紛れにデッチ上げたその答えは・・・。「手塚治虫がいたからだ」。

 つまり戦後日本マンガの造物主である手塚が天才的なまでの教養人だったため、マンガはいきなり幅広い知的資源をその内部に貪欲に取り込んでしまう娯楽メディアになり得たのだ。しかもそれは啓蒙や教養ではなく、むしろ刹那的な娯楽を目的とする魅力的な顔とキャラクターを持った物語として量産された。そこがすごいところだ。マンガをよりおもしろくするための手段として、持てる知識を総動員し足りない知識は外部から補いながら、手塚はマンガが扱える世界を無限と思えるほど拡大した。そして、それが日本マンガの「初期設定」になってしまった。
(中略)

 私は教養主義者でも市場原理主義者でもない。「くだらなくてタメにならず考える必要もない」マンガだって30冊くらい瞬く間に集められるし、私だって大好きである。が、そんなマンガですら逆説的な教養やリテラシーがなければ楽しめないのが日本マンガの成熟度というものなのだ。 


山崎さんが選んだ30冊の一部を紹介します。大使がいかにマンガ音痴に陥っていたかを実感したがな♪
・法律・倫理:デスノート、大場つぐみ
・美術:うみべのまち、佐々木マキ
・国際政治:気分はもう戦争、大友克洋
・農業:百姓貴族、荒川弘
・社会:夢みる機械、諸星大二郎
・日本史:ロボット残党兵、横尾公敏
・世界史:石の花、坂口尚 etc.


【ビジネスパーソンのための教養大全】
教養

ムック、日経BP社、2013年刊

<商品説明>より
ビジネスパーソンが知っておくべき「教養」とは何か。ビジネスパーソン1000人調査で判明した「学ぶべき分野」について、専門家が「学びの勘所」を徹底解説します。
本を読む、映画を観る。そうして学ぶことに加え、体を動かして身につけることも大事。「大人の習い事」の実践方法とその効用も紹介しています。

<読む前の大使寸評>
退職したのに、ビジネス向け教養でもないだろう?・・・
いやいや、世界や時空を概観するのも、老人のたしなみでんがな♪(笑)

さすがに、このてのムック本は図書館で買ってくれないだろうから、自腹で購入したのです。
白地に文字ばっかりの表紙が斬新といえなくもないな~。

rakutenビジネスパーソンのための教養大全




<漫画あれこれ目次>
個人的サイト「漫画あれこれ」の目次です。
日々量産される日本漫画の大海に流されるも良し、だけど、航路を決める羅針盤も必要ではないかと・・・読み方が堅い大使である。

目次には大使の好みが表れるが・・・美術系の漫画が好きかも♪

**********************************************************************
漫画あれこれ2>目次

・『ガロ』を見ずに過ごしてきた
・アーサー・シイク義憤のユダヤ絵師
・ビジネスマンの教養とは
・「キングダム」が面白そう
・杉浦日向子アンソロジー

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漫画あれこれ1>目次
・いしかわじゅんの審美眼
・関川夏央著『やむにやまれず』
・フランスのストーリー漫画
・メビウスの世界
・宮崎駿とメビウスの対談
・知識的大衆諸君、これもマンガだ
・有意義な休日であった
・「鉄コン筋クリート」
・松本大洋の世界(工事中)
・人生画力対決
・娘を化十(ばけじゅう)と呼ぶ
・鄙びた温泉にでも
・「ジパング」読破
・韓国マンガ事情



<知識的大衆諸君、これもマンガだ>
AKB48と韓国ボーカルグループとの違いがよくわかっていない大使であるが、それだけ若い子の歌に関心がないのである。(遅れてるで)

それと同じように、大量に現れる最近のマンガにも関心が薄いのだが・・・・
関川夏央氏が20年ほど前に、「知識的大衆諸君、これもマンガだ」とぶち上げていたので、拝聴した次第です。
この本は、マンガをにくむ人を読者として想定しているそうです。


【知識的大衆諸君、これもマンガだ】
マンガ
関川夏央著、文芸春秋、1991年刊(単行)1996年刊(文庫)、12年2/10読破

<「はじめに」より>
 マンガの敏感さは、流行に弱いとも、ある年代層の関心を強く投影するともいいかえることができる。読者はその年代によってマンガを選ぶのだが、読者もまたマンガによって選別されている。陸続と発芽する骨細胞のように新しいマンガ作家と新しい読者は誕生しつづける。しかしそれらのマンガを、先行する読者は理解できないことがある。新しいマンガはしばしば既成の読者を拒否するのである。すなわちマンガ作家たちは、彼らの作品の読者とともに成長し、読者によって成熟し、そして読者としめしあわせて老化していく傾向があるのだ。そして、そのような限界を超えた作家と作品は、巨匠であり古典である。

<目次抜粋>
「女こども」がこわい 内田春菊『南くんの恋人』
スナドリネコの人生 いがらしみきお『ぼのぼの』
経済マンガってなんなの? 石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』
努力する「破滅型」 柳沢きみお『男の自画像』
「レトロ」にあらず 岡本蛍・刀根夕子『おもひでぽろぽろ』
帰りたい風景 宮崎駿『となりのトトロ』
日本人とはなにものか 手塚治虫『グリンゴ』
手塚のほかに神はなし―追悼手塚治虫
回顧的空気の今日性 さくらももこ『ちびまる子ちゃん』
「男らしさ」「女らしさ」への忌避 上村一夫『関東平野』
会社とはそんなにつらいところか 弘兼憲史『課長島耕作』
自己嫌悪の日本 かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』〔ほか〕

Amazon知識的大衆諸君、これもマンガだ




<秘密の本棚>
図書館で借りた「秘密の本棚」という本を読んでいるのだが・・・・
いしかわじゅんさんがマンガ作家であるだけに、同業者を見る目は鋭いのである。
谷岡ヤスジや諸星大二郎を正しく評価しているのが、個人的には、なんともええ感じである♪

ヤスジ


<天然のヤスジ>よりp278~280
 76年から77年あたりにかけて、ぼくはエロ本の売れっ子になった。そのころ、ヤスジもエロ本でたくさん仕事をしていた。大手でもやってはいたのだが、評価はあまり芳しくなかったように記憶している。かつてメジャーを張ったが、その後急激に面白くなくなってしまった人というような印象があった。
 しかし、ヤスジはそれでは終わらなかった。
 いつの間にか、作品世界が変わってきていた。『ガキ道講座』のころのような破壊的世界観は消え、画面には地平線が広がり、畑が現れ、牛のタロが寝そべり、タゴが鍬を振るうようになった。
 透明な服を着た不思議なキャラクターが現れ、道を横切っていった。女の股間を針で刺すだけの先生がいた。バターを背負って女の股間にそれを塗る犬がいた。
 おそらく、また誰かが囁いたのだ。ここになにかがある。
 最近のヤスジって、なんか変だよな、とみんな噂するようになった。みんなというのは、業界のみんなだ。業界で受ければ、1年か2年後には一般読者も気づくようになる。そうしてヤスジは、80年代に二度目のブームを迎えたのだ。
 もっともブームといっても最初のそれとは違って、もっと静かなものだった。そして、長いものだった。
 ヤスジはそれから晩年まで、同じ世界観を維持した。村(ソン)という絵に描いたような牧歌的世界で、禅問答のような会話を繰り返した。
 どこの連載も同じ舞台で同じキャラクターだったが、特に問題はない。読者はヤスジの新しいギャグや変わった展開を見たかったわけではないのだ。同じ舞台で繰り返しおこなわれる、いつものものを見たかったのだ。先週見たものと同じだが、どこか少し違う。
 ヤスジに計算があったのかどうか、ぼくにはわからない。『ガキ道講座』にはある程度あったかもしれないが、<村>にはなかったような気がする。谷岡ヤスジがそのまま現れていただけではないかと思うのだ。
 (中略)
 ヤスジと親しくつきあったことはなかったが、出版社のパーティ等で多少立ち話くらいはしたことがある。ヤスジは、自分の面白さを理解していないように見えた。作品を褒めたぼくに、ヤスジはかなり見当違いの反応を示した。やはり、ヤスジの漫画は、素のヤスジの面白さだったのではないかと、ぼくは思う。ヤスジの漫画の面白さは、ストレートにヤスジの才能の面白さなのだ。
<天才>という言葉を安易に使うのは好きではないが、ヤスジにはその匂いがした。



<心に残るあの漫画>よりp332~334
 同じ『COM』に諸星大二郎が現れた時には、ぼくはよくわからなかった。
『COM』の売り物のひとつであった新人賞で、『ジュン子・恐喝』という作品でなにかの賞を受賞して登場したのだ。
『COM』は、泥臭い『ガロ』と比べて、都会的な前衛的な作品がよしとされる傾向があった。ぼくももちろん影響を受けてそういう意識があったので、諸星の受賞作のあまりにも泥臭い絵柄と地べたを這うような物語には、かなり抵抗があった。後の不思議な世界を描く作風とは違って、この作品は、現実の人間の心の底を探るような地道な物語だった。
 この作品のよさがぼくには当時まだ理解できなかった。どうしてこんなヘタで泥臭い作品に賞を与えるのかと不満だった記憶がある。ずいぶん後になってそれを読み返し、また集英社の「手塚賞」に入選した作品『生物都市』その他を読んで、ぼくはやっと絵柄の新しさとは違う諸星の革新性に気づいたのだ。 

 新しさとは、誰も知らなかった線を引くことだけではない。誰も見たことのなかった背景を描き、驚くような構成を見せることも、もちろん新しさのひとつの形ではある。しかし、誰もまだ足を入れたことのない場所を発見することもまた、間違いなく新しさなのだ。
 諸星は、間違いなく新しい描き手だったのだ。  
 大友克洋は、衝撃ではなかった。
 彼が登場したころは、ぼくはもういっぱしの漫画マニアだったので、大友の登場は、必然だったのだ。誰か、なにか、ここに現れるはずだというような、ぼんやりした期待のようなものが、おそらくあったのだ。
 近代漫画は手塚治虫の登場からこちら、ほぼすべての実験はやり尽くされ、地ならしは済んでいた。あとは、なにかが起こるのを待つだけだったのだ。
 なにも具体的な前触れはなかったし、予兆らしきものもなかったのだが、もうなにか起きても不思議はないと、なんとなくみんな思っていたのだ。
 だから大友が『漫画アクション』増刊でひっそりと登場したのは見逃さなかったし、すぐになにかが始まっているということもわかったが、驚きはしなかったのだ。


ポンちゃんこと山田詠美にもふれているが・・・
エイミーは漫画作家でもあったわけですね。知らなかった。
いしかわさんが小説を書き始めたことに、エイミーも影響を与えたんでしょうね。

双葉

<漫画と小説>よりp338~339
 山田詠美は、山田双葉だった。
 ぼくの大学の後輩というか、正確には、大学漫研の後輩だった。
 卒業してずいぶん経ってから、漫研に顔を出したら、態度の悪い新入生がいた。それが山田双葉だった。
 明らかにクラブの中で、ひとりだけ異質だった。ひとりで孤立して胸を張っていたので仲良くなり、漫画を描きたいというので、どんなものを描いているのか描きたいのかをチェックし、合いそうな編集者と編集部を紹介した。
 とりあえずは、当時ブームの渦中にあった<三流エロ劇画誌>の御三家のひとつ、現在は劇作家になっている高取英が編集していた『劇画エロジェニカ』を紹介したのだが、しばらく描いているうちに、もう少し格下の本からも依頼がくるようになり、またしばらくすると、主婦の友社から出ていた『ギャルズコミック』という新興の少女漫画誌でも連載を持つようになる。
 しかし、ぼくは山田双葉は、漫画家としては続かないだろうと思っていた。根気がなさすぎたのだ。
 漫画は、作品を完成させるためには何度も同じ工程を繰り返さなくてはいけない。シナリオを書き、下描きをし、ペン入れをして仕上げをする。何度も何度も繰り返し同じものを、頭から最後までなぞらなくてはいけないのだ。山田双葉は、シナリオを考えて下描きをしたあたりで、もう飽きてしまって集中力を持続できなくなる。それでは、漫画は描けない。横についていて手を抜くなというと、だって面倒なんだもんと口を尖らせる。気持ちを維持するのも、漫画の才能の一部なのだ。
 後に山田双葉が小説家になったのは、彼女にとって良かったと思う。小説は、漫画よりも工程が少ない。創作に要する物理的時間が短い。飽きる前に終わらせることができる。それに、小説は、考えながら書きながら、どんどん変えていける。しかし、漫画は、一度シナリオを決めてしまったら、変更はきかない。ページ数も厳密に決まっている。体力と気力の要るジャンルなのだ。
 そのほかにも、漫画家と小説家の両方のキャリアを持つ人は多いが、ぼくも、実は小説はずいぶん書いている。賞はなにももらっていないが、ギャグからシリアスまで、中間小説誌から純文学誌まで、かなりの量を書き、単行本も何冊か出している。
 ぼくが小説を書き始めた理由は簡単だ。編集者に依頼されたからだ。

山田詠美が漫画家として挫折する様が面白いですね(笑)それにしても、早目に針路変更する変わり身の早さは評価できるのではないだろうか♪


【秘密の本棚】
本棚

いしかわじゅん著、小学館、2009年刊

<【目次】「BOOK」データベース>より
1の秘密 彼らの事情(彼女のストレート/ぼのぼのとSinkの間/森下裕美の冒険 ほか)/2の秘密 やってきた道(謎の人/西風少し復活/ギャグの星を探せ ほか)/3の秘密 描く人々(天然のヤスジ/少年画報の黄金時代/中川いさみの立った場所 ほか)
<大使寸評>
いしかわじゅんさんがマンガ作家であるだけに、同業者を見る目は鋭いのである。
谷岡ヤスジや諸星大二郎を正しく評価しているのが、個人的には、なんともええ感じである♪

rakuten秘密の本棚




<漫画家誕生>
この本で紹介される169人の漫画家の9割がたを知らない大使は、それだけ最近の漫画事情に疎いわけである。
だけど、著者:中野渡淳一さんの語る漫画家像が面白いわけで…なぜ、いつ、どうやって漫画家になったのか、各漫画家の人生模様が、漫画を見るように面白いのです(笑)

個人的には、以下の人のが面白かったけど。
・かわぐちかいじ
・山田芳裕
・フレデリック・ポワレ
・辛酸なめ子


【漫画家誕生】
漫画

中野渡淳一著、新潮社、2006年刊

<「BOOK」データベース>より
なぜ、いつ、どうやって漫画家になったのか。日本全国、カメラ片手に訊いて回った、前代未聞169人のインタビュー集!この中に、明日のあなたがいるかもしれない。

<大使寸評>
信濃毎日新聞で4年(1999.10.1~2003.9.27)にわたって連載された「マンガ家の世界」を加筆、修正して刊行された労作であるが・・・・
その執筆根性たるや、ええ根性してるでぇ♪

rakuten漫画家誕生


ちなみに「かわぐちかいじ」を見てみましょう。
こんな感じで、169人も紹介されています・・・・たまらんでぇ♪

<かわぐちかいじ>よりp64~65
ジパング

 21世紀になったとほぼ同時に1、2巻が同時刊行された「ジパング」。担当編集者によれば、そのときの反響は「編集者冥利に尽きる」ものだったという。インターネットの時代にもかかわらず「ハガキがたくさん来た。電話も鳴った」。しかも、読者に偏りがない。若い女性もいれば、年配の戦争体験者もいる。「」。編集という仕事は概して多忙だ。あまり電話が鳴るのも考えものだが、やはり読者の反響は「嬉しい」。もちろん、その喜びは著者の喜びでもある。
「ジパング」は、現代の海上自衛隊のイージス護衛艦「みらい」が太平洋戦争当時の1942年にタイムスリップするSF作品だ。
 異常気象の暴風雨を抜けた「みらい」が突如として遭遇したのは、ミッドウェーに向かう連合艦隊。日米両軍の戦いを静観する「みらい」だが、水偵で不時着した海軍参謀を救助したことで、否応なく「歴史」と関わっていくことになる。
 そこに生まれる過去の日本人と現代の日本人の出会い。読者の反響が大きいのは、日本人の根幹に「あの時代への思い」が強く存在する証だと言える。
 著者は、広島県尾道市の出身。双子の兄弟の兄として育った。少年期は「少年クラブ」や「ぼくら」といった月刊少年誌を愛読した。「兄弟二人とも夢は漫画家だったんだけど、大学に入ると弟はバンド活動に夢中になって道が分かれました」

 明治大学の漫研に所属し、在学中の1970年に「ヤングコミック」からデビューした。30年のキャリアで一貫して描いてきたのは「リアルな人間の姿」だ。麻雀漫画の「プロ」、芸能界が舞台の「アクター」、核廃絶や世界政府樹立をキーワードに人類の未来を訴えた「沈黙の艦隊」。設定や舞台の大小にかかわらず、かわぐち作品の登場人物は人間味にあふれている。政治家や軍人が議論する場面も多い。「議論はキャラクターの個性と個性のぶつかりあい。互いの本音や生き方がぶつかりあってこそおもしろい」。
 そうした会話の場面では、ときとして「思わぬ発言が出ることもある」。絵を入れたあとで、急にセリフを変えることもある。「いかにその人にふさわしい言葉を出すか。へたをすると製版にまわしてからも考えていたりしますね(笑)」。
 絶え間ない連載に、休日は「ほぼゼロ」。アイデアは、自宅近くのサウナで考える。「あの熱くて短い時間が集中できるんです(笑)」。
「ジパング」連載にあたっては、興味のある太平洋戦争を舞台にしたいと考えた。「だけど、ただの戦記物じゃ読者は興味を持たない」。
「現代人がほしい」と思った。「当時の日本人との出会いがあればおもしろいな」と考え、若干の抵抗はあったがタイムスリップという設定にした。ちまたにあるその種の架空戦記物は「関係ない。自分の作品を描くだけ」と割りきった。
「沈黙の艦隊」では潜水艦を描いたので、今度は洋上艦をという考えもあった。「あの当時の日本人を描いていくことで、現代の日本を包む閉塞感を開放するポイントが見えるかもしれない。そんな期待もあります」。

 週間連載のほか月二回刊の「ビックコミック」でも長年活躍している。アメリカ大統領選に挑む日系政治家が主人公の「イーグル」、大震災に端を発する日本の東西分裂を描いた「太陽の黙示録」など、どれも読みごたえ十分の重量級作品だ。


もうひとり、辛酸なめ子さんを紹介します。
辛酸さんは週間文春の連載コラムを書いている人だが、どんな辛い目に遭ってきたんでしょうね?
著者はなめ子さんの画風を「きわどいところでバランスのとれたデッサンも印象的だ」と言うが…色んな褒め方があるというか、世慣れた人なんでしょう(笑)
辛酸辛酸なめ子さん


<辛酸なめ子>よりp40~41
「辛酸なめ子」
 なんとまあ、すごい名前である。作品を読む以前に、その響きだけでどんな人だろうか会ってみたくなるようなペンネームだ。お会いしたのは、2002年の2月、いまでこそトークショーやサイン会に出向けばお顔を拝見するのはたやすいが、当時はちょうどブレイクの兆しが見えたころだった。「先物買い」をする気分で取材を申し込んだことを記憶している。
 ペンネームの由来はもちろん「辛酸をなめる」という慣用句。高校生のとき、友達と作ったミニコミ新聞に使ったのが最初だった。
 実は本名の「池松江美」名でも、イラストや文章の仕事をしているのだが、こと漫画に限っては「デビュー作で辛酸なめ子と名乗ってしまったので、そのまま逃げられずに使っている」のだそうだ。
 育ったのは埼玉県、小学校のころは、よくノートに漫画を描いて遊んだ。中学からは私立校通い。ワープロで新聞を作ったり、家にあったマッキントッシュ・コンピューターでゲ-ムを製作してフロッピー化したり、楽しいままに創作に励んだ。
 武蔵野美術大学の短大に進学した年、そうして作っていた作品が人の目にとまり、書籍のイラストなどの仕事をするようになった。専攻したグラフィックデッザインの勉強は「線を引くのが苦手でだんだんあきらめに至った」ものの、2年のときには「パルコ」のフリーペーパー「GOMES」のマンガグランプリで入賞。漫画家としてもデビューした。気が付くと在学中に「漫画家」や「イラストレーター」の肩書きを手にしていた。「だから就職はなし。卒業後はそのまま漫画やイラストを仕事にしました」
 画風は独特。人形的なキャラクターを記号的に配置した構図。きわどいところでバランスのとれたデッサンも印象的だ。「予備校で絵の勉強をしていたときには田舎っぽいデッサンを描くと言われましやけど(笑)」。

 作風は、さらに独特だ。鋭い観察眼で、身のまわりのことや世の中のこと、人間の意識の奥にあるものを切り取って描いている。動物ネタが多いのも特徴のひとつで、動物園やペットショップにネタを拾いに行くこともある。単行本「千年王国」に収録された「トン&チッキー」は、レストランの調理場から逃亡したブタとニワトリのかけあいが絶妙な四コマ漫画。「動物の視点で世の中に言いたいことが言えた気がする」と、作者自身も気に入っている作品だ。
「最近、興味のあるものは?」という質問に対する答えは「動物の交尾」。「交尾しているときのオスの顔が物悲しくて、それがすごくいいなあと感じるんです」。
 その場に居合わせると、ちょっとバツの悪い思いをするような光景、それが漫画家の視点だと創作のネタに変わる。
 創作意欲旺盛な人だ。商業誌の連載のほかに、自分でミニコミや小物などのグッズを作ってショップやイベントで販売している。ミニコミでは青年誌のグラビアアイドルを真似たパロディを自ら演じてみせたり、「親近感を覚えている紀宮殿下(黒田清子さん)へのオマージュ」を作品にしたりしている。
 一時期はテレビ埼玉のインターネット関連番組にもレポーターとしてレギュラー出演していた。「UHFだったせいか、親をはじめ誰も気付きませんでしたね」
 最近は以前にも増して「辛酸なめ子」としての仕事が多い。「画数が孤独を呼ぶ名前のようなので、何か悪いことがあったらやめるかも」と笑うが、強烈なペンネームに興味を抱く読者はあとを絶ちそうにない。



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